スクールOB生の活動紹介05

第5回は第3回の伊藤吉郎さんからのご指名。
岐阜から毎回通っていらっしゃる田原さん。
インタビューでお聞きするお話の端々に出た言葉は「地域への貢献、住まい手に対する責務」。


obactivity05-img01.jpg スクールOB生の活動紹介 No.04
名前...田原義哲(たはらよしさと)
職業...地域の未来を考える建築人(工務店経営者)
所属...株式会社 紙太材木店
初回スクール受講年...2014年~

これまで

岐阜県加茂郡川辺町に在る工務店、紙太材木店の6代目。
紙太材木店はもともと美濃和紙を扱っており、飛騨川を使って紙を流通していた回船問屋だった。
屋号の「紙太(かみた)」は和紙の「紙」と初代・太平さんの「太」の字からとった名前である。
当初は和紙だけだったが途中から材木も扱い、明治初年には和紙と材木を商っていた記録があり
大正の初めには建築を始めていた。

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昔、材木の伐出に使用した古い道具いろいろ

そんな家に生まれたが、幼少期、家業は材木店、工務店だという意識は低かった。
小学校1年生の頃から6年間、父は川辺町の町長を務めていたことが大きいと思う。
「地元に対する貢献」がこの家に生まれた責務だと強く感じさせられた。

家は典型的な古民家だったが、建築への興味は当時まったく無かった。

大学を卒業し、はじめは商社に就職した。
次男だったこともあり、家を継ぐということは考えていなかった。
ただ、将来独立して何か商売をしたいと思っていた。
人に使われるのは嫌だと思っていた。

転機はほどなく訪れた。
就職して2年目、父が倒れた。
父親と長男と話し合い、独立心のあった私が実家へ戻ることになった。
1986年、26歳の時である。

大学は商学部、建築の勉強は一切していない。
右も左も分からない中、現場監理の仕事をしていた。
職人に聞きながら、現場の様子を盗み見ながら建築のいろはを勉強した。

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会社員時代。髪もたくさんありました(笑)

2008年、48歳の時に社長に就任した。

現在の活動

現在は会社経営をしながら意匠と温熱の設計をしている。
リフォームの仕事や大手ハウスメーカーの仕事で収入を得ながら。
年間3棟、じっくりといい家をつくっている。
特に温熱にはこだわり、30年後も子供が住みたい(社会で流通できる)家を意識している。

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紙太材木店施工例ー本莊中ノ町の家

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紙太材木店施工例2ー大野町の家

これから

会社経営として人材育成が課題。
職人と現場監督が不足している。
どちらの仕事も話し合う姿勢が大事、コミュニケーションの能力が高い人材なら他業種からの転職でもいいのではないかと狙っている。

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スタッフ 年に数回食事会をしてます

家づくりとしては、性能を担保しつつ「これぞ日本の家」というものを作っていきたい。
デザインで見せるだけでなく、構造(架構)として木材を見せる。
見た目は同じようでも表面上だけよく見せている家が多いことを憂いている。
一般の人にそれをどう伝えるかも課題だ。
例えば私は梁に地松を使いたいと思っている。
地産地消で杉を使うか、松を使うか、それは住まい手が選択できるようにすべき。
今は政策的にも杉推しになっているが、
住まい手のためでなく、県の政策として杉が主流になっているのではないかと感じる。
我々作り手が判断して住まい手に公正な情報を提供したい。

MOKスクールを受講して変化、影響を受けたこと

MOKスクールを受講する前年、会社として大きなターニングポイントがあった。
「世界に通用する家を建てたい」という住まい手がが現れたのだ。
外壁に付加断熱(200㎜厚)、サッシは樹脂トリプルガラスetc
これまでもそういう提案をしていたが耳を傾けてくれる住まい手はいなかった。
私にとってはとても大きな出会いだった。

もっと勉強しなくては!という気持ちがあり、
2013年住宅医スクールを受けて、伊藤吉郎さん(OB紹介No.02)にMOKスクールを紹介してもらった。

MOKスクールを受講したことは非常にプラスになった。
田舎で建築をやっていると井の中の蛙になる。
努力はしなくても商売は続けて行けるのである。
ただ、それは違うだろう。と強く感じる。
社会に対して責任を果たせていない。
社会の変化に対して自分(会社)も常に変化しないといけない。
ただ、自分の努力だけでは変化するのは非常に難しい。

MOKスクールには6年連続通っている。
この6年で意識は大きく変わった。
耐震性能をどう担保するかという点においても、2014年受講当初は耐震等級3など意識していなかった。
スクールに通う前から地元の建築士会の副支部長だったが、時代の変化に対する反応が鈍い(無い)印象だった。
MOKスクールでは講師の先生からレクチャーを受けるだけでなく、意識の高い受講生が全国から集まっていて刺激をもらった。

建築の世界に入り、30年近く経っていたが常に(学校で)建築の勉強をしていないという負い目があった。
自分たちがしている設計が担保できるものなのか。
住まい手に対する責任は果たせているのか。
常に悩んでいた。
悩みは尽きないが、同じように勉強している人たちと接するうちに
それまでは自分の中になかった判断基準が養われていったように思う。

先述の「世界基準の家を作りたい」という住まい手との出会い以後、自分自身が理想とする家づくりを続けてきている。

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住まい手の意識の変化を感じた粟野の家

Q&A

Q今後のMOKスクールに期待することは?
Aほとんどの人は温熱性能ならUA値で話をするが、
同じUA値0.26(紙太材木店では0.3前後の家が多い)なのに年間のエネルギー消費量が違い、暮らしやすさが違う。
それは日射取得による暖かさの違いで、UA値の先をどうお客さんに伝えられるかということを常に考えている。
そういう手法について等、エビデンスのある話をMOKスクールの人たちと小さなコミュニティでできたらいいな、と思う。MOKスクールの人と話をするのは楽しいですよ。